深夜、軽く散歩でもするかとカメラを首に提げて外に出たら、マンションの外階段の壁にこいつが貼り付いているのを見つけた。

その姿を見て、ウスバカゲロウを思い出した。
成虫はトンボによく似るが飛翔は弱々しく、幼虫は砂浜にいるアリジゴクである。

アリをさんざん食い殺した後に一瞬空に飛び出しすぐに死んでいくという、栄枯盛衰を体現したような虫だが、それに似ていると言われるトンボは、羽を震わせて力強く飛ぶ。


壁で彼を見つけた時、2,3枚近くで撮ったら逃げるかな、と思いながら恐る恐るレンズを近づけたが、全く逃げずにそのまま。

複眼の虫の弱点は背後から近寄ると案外かんたんに捕まえられるそうだが、今回は捕まえるつもりもないので、ストーカーよろしく深夜の階段の踊り場でぐるぐるうろうろする。他人がいたら悲鳴を挙げられても仕方ない挙動である。

とはいえ、撮りたいものを取るためにカメラを持っているのだ。
無様な自分はファインダーの外にいる。

真横からのアングルのために壁に張り付いたところ、完全だと思っていた羽がちぎれて欠けているのが見えた。これではもう飛べないか。
あるいは、毛の生えた足で体を休めていてそのまま力尽きたのかもしれない。
こんな巨大な生き物が背後でウロウロしているのに気づかないわけないもんな、とちょっと拍子抜けしたような寂しいような気分になった。

レンズ先先端3センチまで寄っても、虫はまだ動かない。

トンボは虫の中ではまずまず好きだ。
投擲された槍みたいな勢いでついっ!と前へ前へ飛ぶ姿は、勝ち虫とも称されて、美しい。
縁起物として着物の柄などに使われることもある。

勝どきを上げて、飛んで飛んで、飛び終わったら止まる。
止まれなければ落ちる。
アリジゴクもそうで、アリを食べて羽を広げて空を飛んだあとはそのまま重力の虜となる。

人間も食い続け、飛び続けている限りは生きている。そして飛べなくなったら落ちる。

重力の虜になったときに思うのは何か。
食い尽くしたアリはうまかったろうか。
飛び去った景色は美しかったろうか。

それとも、土にまみれてそのまま塊根とともに腐っていくのか。
飛べるってことは案外拷問みたいなものなのかもしれない。

せめてどこかの壁に張り付いて、空を見上げながら死ねればいいのだろうか。